小学校で英語の必修化が始まるが、その効果はどれほどのものなのか興味深い。
「東京がアジアの金融中心都市になれないのは何故か?」
答えは「英語が通じないからだ」という本気とも冗談ともとれない話がある。
グローバル化が進む世界の潮流に乗り遅れないためには英語教育を徹底させる必要があるとの思いで、小学校の英語必修化が実現するに至ったと言える。
とは言え、他の教科との兼ね合いもあるから、英語の授業は週1回、多くても週2回ぐらいが限度であろう。しかも6年間ではなく5年生あたりから英語が始まるとなれば、小学校で行われる英語の授業は通算で100時間もないのではなかろうか。
仮に100時間とすれば、中学で週3回授業でおよそ33週間、およそ半年分だ。ちなみに中1で英語の授業が始まり半年後であれば、だいたい一般動詞の3人称単数現在形につくs、doesを使った疑問文、否定文あたり。進んでてもcanの入った文、be動詞+-ingの現在進行形を理解しているぐらいが関の山だろう。
小学校英語がスタートしてもせいぜいそれくらいの「先取り」でしかない。文法事項のエッセンスだけを説明するなら、ここまで2時間ぐらいあれば生徒の頭に詰め込むことは可能だ。すると小学校で2年間かけて教わった内容というのは、たった2時間の講義で全貌がつかめるということになる。
たった2時間の内容のために、貴重な学校の授業の100時間を割くのですか??
もちろん、教材、指導法などに工夫を凝らせば100時間あったら相当の内容の授業が展開できるはずだ。しかし、なしくずしというか、見切り発車的な英語必修化は見識者の十分な議論を待たずにもう目の前に迫っている。当然必要なノウハウなどはどこにもない。
小学校の英語必修化は別に悪いことではない。むしろ多くの人々が待望していたことだと思う。だが、教育はその成果が顕在化するまである程度年数がかかるものだと考えると果たして小学校英語の効果はいかほどのものなのか、興味深いところである。
願わくば、英語を好きになってくれる子供が増えてくれることを期待する。その逆もあり得るけれども。
工夫して「環境」さえ整えてしまえばあとは努力さえすれば英語は必ず身につく
ある人の能力や人格はどうやって形成されたのかを問う言い方で「生まれか育ちか」と言う言葉がある。英語では、”Nature or nurture?”と言う。
natureは「自然」という意味で用いられることがほとんどだが、元々は、「自然に備わっている人間の本性、天性、素質」という意味で使われた。
nutureは「養育、教育、しつけ」という意味で派生語でnutrition「栄養」がある。
「生まれか育ちか」はそのまま「素質か環境か」という意味に置き換えられるが、教育学ではこれは永遠に答えが出せないのではないかという問題である。
例えば、シアトル・マリナーズのイチローは天才であることは言うまでもないが、日本にいる時からずば抜けたバッティングセンスで安打を量産して、鳴り物入りでメジャーリーグ入りを果たし、今年9年連続200本安打達成というメジャー記録を打ち立てた。イチローにとっては日本だろうがアメリカだろうが、イチローはイチローである。まさに「素質」=natureが開花している好例であろう。
最近話題を呼んだ盲目のピアニスト、辻井伸行さんは生まれてすぐに視力を失ったが、両親が幼い伸行さんにピアノを習わせたことから、めきめきと上達し、今や世界的ピアニストに成長した。これは伸行さんの「素質」も大きいが、もし両親がピアノを習わせなかったら決してその才能は開花しなかったであろう。これは「環境」=nutureがものを言った好例である。
イチローも、辻井さんも、もちろん「素質」だけ、または「環境」だけに起因するのでなくその2つの相乗効果(synergy)であることは確かだ。どちらも一方だけでは開花しようがない。
種だけでは芽は出ない。豊かな土壌があって初めて花は咲く。
さて、ある人が英語が堪能の場合、それは「素質」なのか「環境」なのか?これは、経験上やはり「環境」が圧倒的に「素質」を上回る場合がほとんどである。英語で悩んでいる人は「自分にはセンスがないから」とか「英語は結局頭のいい人しかできるようにならない」なんて絶対に思わないで欲しい。英語学習で「環境」というと、どうしても「海外留学」のことと思いがちだが、断言できるのは、絶対日本にいても英語はマスターできる!ということである。例えば、衛星放送で英語ニュースを観て、英字新聞や英文雑誌を読みふけり、インターネットで英語圏の人と英語でメール交換などしてみてはどうだろう。工夫して「環境」さえ整えてしまえばあとは努力さえすれば英語は必ず身につく。頑張ってください。
Your effort will surely pay off!
硬い表現、砕けた表現どちらも大事なので、バランスをとって学習したいものですね。
Have you ever thought about the tone of expressions, formality and informality? It is sometimes very tought for non-native speakers to choose the best word/pharase according to each circumstance.
For example, when talking with friends, to say “I think you’d better do it.” would be a usual expression. However, if you speak in a formal meeting in front of a large audience, it may be better to say “I hold that your best plan would be to do it.”
If you can distinguish the difference between colloquial and literary expressions perfectly, you are a real advanced learner.
口語表現と文語表現の区別は、ネイティブでない場合は結構難しいものですね。その国に長期間住んでいれば別ですが、外国語として学習している場合は特に。一般的に日本の英語学習者は、大学受験の影響から、堅い表現を優先して学習するのではないでしょうか。だから、超日常的な表現(彼はひげをそります(He shaves off his beard.)なんてのが、案外なかなか言えなかったりします。硬い表現、砕けた表現どちらも大事なので、バランスをとって学習したいものですね。
とにかく英語で考えるようにしてみてはいかがでしょうか。
The upper house election in Japan is over. The result is, as most of the people probably expected, the landslide victory of the Democratic Party of Japan, DPJ, though the scale of the victory might be more than our expectatons.
Now that the DPJ is to come into power, it is necessary for them to carry out their policies stipulated in their manifesto honestly in order not to disappoint the Japanese.
というわけで、皆さん投票には行かれましたでしょうか。今ここで私が選挙のことは選んで書いたこと自体には実はたいした意味はありません。要は何でもいいのです。自分が思ったことをどんどん英語で言ってみましょう、また書いてみましょう。そうすると必ずほとんどの人は、「あれ、これは英語で何て言うのかな」ということが出てくるはずです。そうしたら、調べるはずです。あるいは誰かに聞くはずです。この疑問を持つということが大事だと思うのです。そしてそれがわかったときに本当の実感として理解できるのではないでしょうか。この繰り返しが英語力をつけると思います。
何でもいいのです。日常生活のことでも、社会的なテーマでも。とにかく英語で考えるようにしてみてはいかがでしょうか。英語でのプレゼンテーションにも役立つはずです。
改めて考えてみることも大事なようです。
英語を学習する人は世の中に5万といるけれど、その目的は皆違いますね。文法をやりたい人、会話をやりたい人、英検をとりたい人、TOEICを目指す人、リスニングを強化したい人、ライティングをやりたい人、リーディングを強化したい人、細かく書いたらきりがないでしょう。さらに一人ひとり皆レベルが違うわけですから最適なクラスを探すというのは意外と大変なことですね。
英語が必要であることは変わりはないのですが、私たち学習者はいま自分は英語の何を最も学習したいのか、改めて考えてみることも大事なようです。