残念ながら、TOEICの授業にも、偽装があると聞く。
英語本の偽装の話の続き。
仕事がらTOEIC対策と銘打った本をよく立ち読みするが、実際にはTOEICを受験していない人間が書いていると思われる本が出回っている。そんな本を使っている学習者は、気の毒である。無駄な努力を強いられる可能性がある。
TOEIC対策の授業も同様、最新のTOEIC事情について知らない講師の授業は、受けないほうがいい。TOEICを受けてもいない講師が教えるTOEICの授業は、まさしく偽装である。残念ながら、TOEICの授業にも、偽装があると聞く。
講師のTOEICに関する知識を測るために、次の質問をしてみるといい。
①TOEICで出題される比重が最も高い文法項目は何か。
②①以外にTOEICで毎回出題される文法項目は何か。
③文法書には書いてあるが、TOEICでは出題されない文法項目は何か。
これらの質問にきちんと答えられる、講師なら信頼してよい。
さらに、受験当日の心得から筆記用具の準備の仕方まで教えてくれる授業であれば、完璧である。
私の財布はいつも一万円札感が不足している。
最近新聞を読んでいて、言葉(日本語)の使い方に違和感を受けることがたびたびある。たった今「違和感」という言葉を使ったが、この「感」の使い方についてもそうである。チュウハイの広告に「グレープフルーツ感がアップ」という記述を見つけた。また、インスタントコーヒーの箱に「コーヒー感」「ミルク感」なるものを数字化して表しているのを見た。伝えたいことのニュアンスはわかるが、どうも正しい日本語とは思えない。そのような表現が正しいとすれば、
「私の財布はいつも一万円札感が不足している。」
というような言い方も許されるのだろうか?
それ以前から気になっていたのが、「的」の使い方である。私自身は「社会的」「歴史的」「経済的」「文化的」等、「的」の前におくことができる名詞は限られている、なんでも前においていいわけではない、と認識していた。ところが「私的」「気持的」等の表現が出現し、最近は何でもありになってしまったようだ。
あるとき、そんなことをイギリス人と話していた。すると、日本語についての知識がある彼は、
I know what ‘teki’ is. It’s a train ticket that can be used repeatedly, isn’t it?
と得意げに言った。それは「てーき」です。
楽天やユニクロ以外にも英語を社内標準にしている企業は多い、当然、外資系企業では、英語は必須である。
楽天やユニクロでは社内では食堂に至るまで全てが英語。本日7月11日の選挙当日の朝に1時間30分にわたり特集され、英語の重要性、これからの仕事には世界標準の英語が必要であるということが、強調された。
もちろん、楽天やユニクロ以外にも英語を社内標準にしている企業は多い、当然、外資系企業では、英語は必須である。日本サムスンなども英語力がなければ技術力があっても採用のテーブルにも載らない。
テレビではTOEC600点以上だとか、730点以上だとかが基準点に挙げられていて、視聴者の中には、危機感を感じた人がかなりの数いるだろう。「俺のTOEICスコアでこれから首にならずに仕事ができるか?」「外資に吸収合併されて新入社員たちは英語力があるが合併以前の私の英語力ではリストラ対象の可能性もある!」
米大卒の英語講師ととして、この番組で感じたのは、「社内では全て英語の割には、TOEIC600だの700だの、甘い。900以上でも、英語が母国語の人を自分のペースに引き込み交渉をするのは難しいのに。」ということ。
おそらく、この英語力UPの風潮は、今後ますます勢いを増し、800点や900点という風に、動いていくだろう。無用に、不安をあおるつもりはない。そうなるには、まだしばらく、時間がかかるだろう。備えあれば憂いなしという言葉もある。先を見据えて早い段階で準備しておけば、大丈夫。
横浜市の英語教室のユニゾン英語学院では、特にTOEIC600点突破に向けては、企業や学校が進級や昇進の条件になっているので、多くの生徒が学習中である。TOEIC600点対策の授業は、100発100中、例外なく、目標点数達成している。950点の生徒を990点にさせるのとは違い、伸びしろもあるし、600点突破の道しるべができている。この英会話スクールでは、独自開発の教材にTOEIC990点満点講師や英検1級講師が指導することで、英語力UPを実現している。
放送中、日本がアメリカの脅威にならないのは、英語力がないからであると言っていた。日本を変えるのは政治家の意識だけじゃなく、わたしたちの意識も改革しなければいかん。「今日できることは今日やる」そんな意気込みのある人が、元気な日本を作っていく。事実、本校にも異例の体験学習の申し込みがあった。「まだまだ、日本人は大丈夫だ!」
選挙当日のこの放送は、日本人の英語の意識を高める良いタイミングだった。
まさに「ドイツ対スペイン」は「経済の優等生vs経済の劣等生同士の戦い」であった
2010年FIFAワールドカップの準決勝戦、ヨーロッパ勢の3カ国(ドイツ、スペイン、オランダ)が勝ち残り、ドイツ対スペイン戦が実現したが、結果は1-0でスペインが勝ったのは皆さんもご存知なはず。自分はこの試合をサッカーとは別の見方で楽しんだ。ギリシャの財政破綻を機にEU連合は同一通貨であるユーロ(euro)を使用しているため(ちなみにイギリスはユーロは未使用)に一気にユーロ危機が加速しどの国も財政出動、緊縮政策へと舵を切った。
There are huge differences between euro-zone economies, and these have shown up in persistent economic imbalances.While Germany runs a giant current-account surplus, other nations, like Spain, post deficits. With so many poor performers in the monetary union, the euro’s value and the overall growth of Europe could suffer.
ユーロ圏でのそれぞれの国の経済には大きな隔たりがあり、それは経済の不均衡という形で常に顕在化する。ドイツが現在大幅な財政黒字を計上しているにもかかわらず、スペインのような国は赤字を出している。通貨統一したユーロ圏には他にも経済の劣等生がいるためユーロの通貨価値とヨーロッパ全体の経済成長が阻害される恐れがある。
まさに「ドイツ対スペイン」は「経済の優等生vs経済の劣等生同士の戦い」であった。そして劣等生であるスペインが勝利したということはEUユーロ圏の今後を暗示しているのかもしれないと言ったら言い過ぎだろうか。
When I was at senior high school I decided to become a teacher.
My Dream
When I was at senior high school, I decided to become a teacher, but the reason must seem very strange.
My history teacher was not a human being. He was a machine in humane shape. He wrote meaningless words on a blackboard automatically and told things without content. I didn’t listen to his lecture because it was boring. I believed (and still believe) that history was the most interesting of all the subjects I had at school. But why could his lecture make me so completely fed up? I thought I could teach history better than him. This belief made me a history teacher.
However, when I became a teacher I had to face up the severe reality. Of course I was interested in history and my belief that history was the most intriguing subject hadn’t changed. But students didn’t show any interest in it. Some students were just sitting in my class reluctantly; otherwise, they couldn’t have finished school. Their attitude to my class discouraged me.
I taught Japanese at schools in Australia and Canada. One of the things which impressed me was this: when I was in Canada I went to elementary school as an assistant Japanese teacher. There I found pictures of students in old times displayed on the wall. Some graduates might go to the school occasionally to recollect old times and they would find they are still there!
My dream school will be a place where teachers can teach their subject freely. They talk to their students from heart (not like a machine), and they raise good citizens who always think about politics, economy, peace keeping, welfare and so on and who try to make our world better.
It will be also a place where students can enjoy their school life, where graduates receive a hearty welcome, and where they can look back on their old days longingly when they come back to school.