少人数制やプライベートレッスンで英語講師達の優劣が出る
私が教える英語教室は少人数の英語教室なので、生徒とのインタラクティブな授業をしている。
多数の生徒を相手に、一方的な演説形式の授業をするのであれば、生徒がどんなであれ、決められたその1時間に決められた内容をたんたんと話して終わりということになるので、同じ題材で授業をやれば10回が10回とも同じようになる。しかし、
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TOEIC公式問題集は「値段の割には」という印象
ETSが提供しているTOEIC公式問題集というのがある。公式というからには試験対策としては一番良いだろうという印象を与える。その印象だけで、教材を購入する人も多いかもしれない。そして、入手して読んでみると、みな一様にある感想を持つ。
うーん。これか!?これじゃぁ納得しながら勉強していかれない。(もちろん、そう思わない人もいるかもしれないけれど・・・)
でも、他のTOEICの問題集と比べて、緊張感がある。この緊張感が、この公式問題集の意義かもしれない。そして、TOEIC500点の人でもTOEIC900点の人でも公式問題集に触れれば、TOEICってものがどういうものかがわかる。
それにしても、公式問題以外の全ての市販の練習問題集の方が、割安感がある。「全ての」というのは言い過ぎかもしれないけれど。みなさん、どうおもわれますか?
英語が得意だが伸びない生徒の問題点は国語力にある場合も十分考えられる
試験時間に追われて質問文をよく読んでいないのか、もしくは、国語力がないのか、と言った理由で、解答欄に記入した英語に問題がなくても、正解がもらえないことがある。
英語が得意だが国語が苦手だという生徒で、英語の実力に伸び悩みを感じる人は、国語力に問題があるということが多々ある。単語や熟語の量の問題じゃない。
英語の長文の問題で、読んで意味を捉えてと、確認をしてみると、確かに、1つ1つの文章は理解するのだが、そのつながりをないがしろにして全体の意味を把握していないのだろう。
Why does Mat want to study Chinese in the college?
という問題を解くのに、本文に載ってることから答えを導き出さなければならないのに、本文中に書いてあった理由(中国貧困層の医療充実のため)なんて無視して、
Because he wants to speak it.
なんていう答えを平気で書くわけだ。これは、極端な例としても、これに近いようなことは多かれ少なかれある。
だから、これは、本当は国語の授業なんだがなぁ。ということも、英語の授業の中に入れている。そうすると、模擬試験の結果がよくなってくる。
英語が得意な割には英語の成績が伸びていかない受験生、あなたの問題は、国語力にあるかもしれません。そんな人は、是非、本校へ。
英語の指導力を評価してくれてクチコミで生徒がやってくる
英語を教えていて生徒がTOEICの目標点数を突破したり、大学に合格したり、大学院に合格したりすると、その生徒が、クチコミで生徒を紹介してくれる。
小規模の英語教室で英語を教えているが、クチコミを促すような、お友達紹介キャンペーンとか、そういうのは、全然やっていないので、キャンペーンや特典が目当てで生徒が入会するわけではない。だから、クチコミで生徒がやってくると、それは講師としてすごく嬉しい。なにしろ、英語の指導力を評価してくれているということに他ならないからだ。
特にTOEIC600点は、横浜の市立の大学などの進級条件になったり、企業の昇進条件になったりもしていて、ずいぶんと、手助けしてきた。東横線沿いで1分の所にあるので、通いやすいというのもメリットなのだろう。でも、みんな結構遠くから習いにくるなぁ・・。
ビジネス的には、会社を大きくすることに情熱を傾けて実現してきた企業家さんや、仕事のヤリテの人からしてみれば、もの申したい所が沢山あるだろうけれど、個人の英語教室だって、社会には必要だろう。そしてまた、そういう、仕事に誇りを持っているような人が、英語塾に習いに来てくれているということもあるし、ビジネス的にはもの申したくても、それはそれでありだとも思っている、きっとそんなところだと思う。
なにやらの入会キャンペーンを大々的にやりすぎて、雪だるま式に生徒が増えたら生徒の要望に応えにくくなるし、講師の張り合いとしては、やりがいとしては、わかりにくくなりそうだ。プライドを持って英語の指導ができるということ、そして生徒達の目標を達成させるということ、これで、講師は螺旋階段を上がるように、前向きになれる。
無生物主語の授業がアメリカ(の田舎)で暴走族をやってもつまらないという話題へ・・・
授業中に暴走族がブンブンと授業妨害をする事がある。極端にうるさくしているバイクの音は聞こえてくるものだ。これは、都会の英会話スクールであればある程度やむを得ないことだろうとは思う。
無生物主語だとか、主語の位置にあるものが名詞ではないこともあるという授業をしていて、「また来たよ!」と思った時に、生徒の一人(50代のおばちゃん)が、here comes again.と言った。五文型のうちのどれにもあてはまらないが、これは、正しい使い方で、早速、日常にも応用ができた。すばらしい。英語の習得では、そんな風に、すぐにやってみることが大切。
このクラスは学習水準の近いおばちゃん達が数名で受講するというコマだが、むかし、暴走族だったらしく、ブンブンと聞くと、昔を思い出して、暴走族の話になった。
アメリカでは、暴走族は見かけた数が少なかった。いくらとばしても、ブンブンと騒音をやっても、それによって、迷惑を被る人が少ない。進めども進めども田舎の草原風景。ギャラリーがいないと暴走も爆音もやっても全然もえない。日本じゃないとやりがいがないということだった。
授業中に迷惑だと思っていたが、そう思わない人もいるという、おそらくは、珍しい生徒の1人だと思う。まぁ、でも、授業に集中していると、外部の音は気にならないレベルかな。